CLUB HARIE

2017年1月22〜23日、フランス・リヨンで行われる世界最高峰の洋菓子の国際大会「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2017」にクラブハリエ山本隆夫が出場。世界一に挑みました。

クープ・デュ・モンド 2017 出場

2017年1月22〜23日、フランス・リヨンで行われた洋菓子の国際大会「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2017」にクラブハリエ代表取締役社長/統括グランシェフの山本隆夫が出場しました。
各国の予選を勝ち抜いたパティシエたちがその腕を競う世界最高峰の場として知られるこの大会。山本は氷彫刻・アントルメグラッセ(アイスケーキ)担当として、シュゼット・ホールディングスの駒居崇宏シェフ、森永商事の植﨑義明シェフとともに、企業の枠を超え、日本代表“チームジャパン”として頂点を目指しました。
今回チームキャプテンとして世界に挑んだ山本。和菓子舗「たねや」の次男に生まれ、現在、たねやグループの洋菓子部門「クラブハリエ」グランシェフとして経営を担っています。これまでには様々な紆余曲折、試練がありました。クラブハリエの歴史、そして山本のストーリーをご紹介します。


Episode.2

クラブハリエのバームクーヘン。挑戦と成功。

山本が小さかった頃は工場が遊び場で、砂糖の種類や質感の違い、チョコレートの特徴などもその時には感覚的にとらえていました。常にお菓子に囲まれた暮らしのなかで、唯一毎日食べても飽きず特別な存在がバームクーヘン。焼きあげた丸太のようなバームクーヘンにかじりついたこともありました。
ドイツ伝来のお菓子を日本人の好みに合うように、ふんわりしっとりと、クラブハリエ独自の表現で開発を進め、商品名もバウムクーヘンから「バームクーヘン」に。確かな自信を持って作り上げたこのお菓子で、山本はクラブハリエの立て直しを図ります。 1997年、滋賀県内の草津近鉄にクラブハリエを初出店しました。山本はバームクーヘンで勝負したいと意気込みましたが、結果は失敗。お客様からは「バームなんて」と見向きもされず、新商品として出したモンブランに人気が集中し、悔しい思いをしました。このとき、バームクーヘンには結婚式の引き出物にあるような固くパサパサしたイメージを持たれていることがわかりました。

1999年には草津近鉄の状況をみた阪神百貨店から出店依頼が入ってきました。
当初「バームクーヘンのみを販売したい」と交渉しましたが、百貨店は大反対。社内でも賛成してくれたのは父親である会長と、ともに開発に携わった工場長だけ。会長の後押しもあってなんとか「一週間で結果が出なかったら品揃えを変える」という条件付きで出店しました。まさに一点突破の戦略は背水の陣。失敗は許されないと、展開方法に頭を悩ませます。そして迎えた出店初日。店舗には丸太のようなバームクーヘンをずらりと吊るし並べ、これまでとは違う味わいを知ってほしいと小さくカットしたものを試食としてお客様に配りました。

結果、目標額を超えて「よしっ!」と喜んだのも束の間、百貨店担当者からは「初日は売れて当たり前」との厳しい言葉。けれど日に日に売り上げを伸ばし、ついに百貨店が要望した条件を見事にクリア。その後は進物に使っていただくお客さまも増え、ここにきてようやく「クラブハリエのバームクーヘン」を認めてもらうことができたのです。

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『挑戦。コンクールで失敗し続ける日々から世界一へ』

頭をよぎったのは「自分はもうコンクールを引退し、経営に専念したほうがいいのかもしれない」という思い。一度はあきらめかけた“世界一”という夢を、山本はその手で掴みとったのです。