僕がたねやの次男として生まれたのは1972年。物心ついた時からバームクーヘンを焼く工場でいつも遊んでいました。洋菓子づくりに関わるようになったのはここ30年ほど。クラブハリエは70周年を迎えましたが自分自身まだまだと感じています。
滋賀の洋菓子舗としてこれからもおいしさと楽しさ、面白さを大切に。想像の枠を超えるようなことをしたいと考えています。
クラブハリエ 代表取締役社長兼
グランシェフ 山本 隆夫
クラブハリエのはじまりは1951年。滋賀県近江八幡の和菓子舗たねやの洋菓子部門としてスタートしました。お菓子とともに歩みをかさね70年。これからも皆さまのもとへ、楽しさとおいしさをお届けいたします。
僕がたねやの次男として生まれたのは1972年。物心ついた時からバームクーヘンを焼く工場でいつも遊んでいました。洋菓子づくりに関わるようになったのはここ30年ほど。クラブハリエは70周年を迎えましたが自分自身まだまだと感じています。
滋賀の洋菓子舗としてこれからもおいしさと楽しさ、面白さを大切に。想像の枠を超えるようなことをしたいと考えています。
クラブハリエ 代表取締役社長兼
グランシェフ 山本 隆夫
近江八幡でのバームクーヘンづくりがはじまったのは1973年のこと。当時から引出物のお菓子としておなじみでしたが、しっとりやわらかな食感は珍しく、多くの人に親しまれてきました。
クラブハリエのバームクーヘンが広く知られるきっかけとなったのは、1999年に大阪阪神百貨店にオープンしたB-studio。焼きあげたバームクーヘンを丸太の状態でディスプレイするショップ・イン・ファクトリーのスタイルが人気を呼び、その後各地での展開につながりました。
製造開始から40年以上たった今もバームクーヘンの素材は新鮮な卵に小麦粉、バターといったシンプルなもの。職人が一層一層に生地を焼きかさねる昔ながらの製法も変わりません。
バームクーヘンはクラブハリエ伝統の味わい。
その味わいを受け継ぎつつ、チョコレートを生地に使ったショコラバームや抹茶バームなど新たなおいしさにも挑戦し続けています。
クラブハリエのはじまりは和菓子舗たねやに作られた洋菓子部門。その設立には建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏とのご縁が深く関わっています。
1873年から近江八幡でお菓子を商うたねやの向かいに洋館街ができたのは1913~14年ごろ。レンガ塀に囲まれた洋館にヴォーリズ氏はご家族でお住まいでした。パンやケーキのご注文を受け、時にはホームパーティに呼ばれるなど家族ぐるみのお付き合いもあったそうです。
当時にしては珍しいアメリカの文化や暮らしに触れたことが「これからは洋菓子も…」と洋菓子部門を立ちあげる決意を支えたのです。
のちに屋号を「種家」と改名、1984年からは「たねや」とひらがな表記になりました。
当時はスイートポテトやオレンジケーキ、シュークリームなどを作っていました。
バームクーヘンは職人が修行先で学んだ洋菓子のひとつ。専用の機械を使い1本1本焼きあげる方法は今と変わりません。
種家の洋菓子部門から独立。その後、八日市や彦根に県内直営店舗をオープンしました。
人があつまる社交場(クラブ)のようにとの願いをこめ、商号を変更しました。
日本初となるバームクーヘン専門店。ショップ・イン・ファクトリーのスタイルと生地のやわらかな食感が人気を呼びました。
店名はフランス語で「時間を忘れる」。琵琶湖のほとりで時を忘れ楽しんでいただきたいとの思いから名づけました。
チョコレートを生地に使ったショコラバームは5年の開発期間をへて完成した一品。バレンタインの催事ではクラブハリエの目玉商品となりました。
「自然に学ぶ」をコンセプトにしたフラッグシップショップ。たねやグループの発信地としてさまざまな取り組みも進めています。
バームクーヘンの両端を商品化した「MIMI(ミミ)」や簡易包装での販売など、色々な挑戦をかたちにするお店です。
洋菓子の製造開始から70年。クラブハリエはこれからも楽しさをお菓子とともにお届けします。
いままで作ったバームクーヘンのパッケージは100種類以上!その中でも特にユニークなパッケージをご紹介します!
※一部を除き販売終了しています